ゴッホとゴーギャン。1888年11月からのアルルでの共同生活は、たった2か月で破たん…。アーティストのユートピアを夢見て、ゴッホは画家たちを招き入れようとアルルに家を用意。ゴッホの熱い思いに応える形で、そこにやってきたゴーギャン。ゴッホの歓迎ぶりは熱く、ゴーギャンのために「ひまわり」の絵を描いて、用意していたといいます。

 ゴッホは、ありのままの姿を描くのに対して、ゴーギャンは、そこにない想像の世界まで絵に加えるという主義。まったく2人はかみ合わず、ゴハンをどちらが作るのかというのも、ゴッホのスープがまずくて、ゴーギャンが食事係に自らなったとか。毎日が熱い論争。ゴーギャンは、この2か月間を1世紀ほどの長さに感じたと、のちに振り返っているそうです。

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 私は、ゴッホの37歳の人生の足跡をたどりたくて、2013年にゴッホ終焉の地、フランス オーヴェル=シュル=オワーズへ行ってきました。最後に住んでいた部屋を見学したり、弟のテオと並んで眠る墓地へも行きました。ゴッホの部屋は、湿り気のあるかんじの暗い部屋で、決して明るい気分になれるようなところではありませんでした。★その日の日記。

 また、2014年は、ロンドンのナショナルアートギャラリーで、ゴッホとゴーギャンの作品が並んでいる?! という、奇跡的な共演を目の当たりにし、感動したことも記憶に新しいです。★その日の日記。

 なので、ゴッホのことは知っていると思っていたのですが、今回の東京都美術館で「ゴッホ」と「ゴーギャン」のことが、私の中で完全消化に至りました。
 
 最後は、ゴーギャンのひまわりが飾られていたのです。タヒチに移住していたゴーギャンは、わざわざフランスから「ひまわりの種」を取り寄せて育てまでして…。ゴッホの死後、11年後のことです。

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 アルルへやってきたゴーギャンを歓迎するために描かれた「ひまわり」。あっという間に破たんしてしまったけれど、歓迎してくれた友の気持ちに感謝や賛辞を込めて描かれたという印象が、絵からドーンと伝わってきました。最後の展示で、まさか涙が流れるとは・・・・。こんな展覧会の感じ、初めてです。ドキュメンタリー映画よりも、ドキュメンタリー?!本物の絵がそこにあるのですから。

 東京都美術館はゴッホ仕様になっており、絵画がかけられている壁の色が「ひまわりの黄色」であったことも、まるでゴーギャンを歓迎するゴッホがそこにいるかのようにも感じられました。本当に素晴らしい展覧会です。本物の絵に触れると感動が違います。

 余韻に浸りながら美術館を後にすると、東京都美術館のモチーフである「球」に秋の雲が映りこんでいるのが、とても美しく感じられました。自分を真ん中に映るように構図を決めて写真を撮っていると、50代くらいの2人組の外国人の男性が、私のiPhone画面をのぞき込んで、「パーフェクト!」と英語で話しかけてきました。彼らもそこで撮るのかな? と思ってどこうとしたら、一緒に撮ろう! ということに。(笑)「All of us!」と言っていましたね。球の真ん中に、3人が並んでいるのが見えますか?




 余韻の余韻まで長引かせてくれる出来事でした!心地の良い気分のまま、私は映画館へ向かいました。